蕎麦好きの独り言(2015.02.10up)

その壱五、「老当益壮」



山に行けない休日が続いている。
いつかやらなきゃいけない用事というのは結構あるもので、そのうちの一つが葡萄の剪定作業、と言っても我が家の葡萄は商用でない為、ホント適当にバッサバッサ切り落とすだけなのだ。これが結構良いストレスの発散になる。
勢いに乗って切るのは気持ちよいがその後が大変、片付けに一番手間が掛かり結局この日には完了せずに後日またねとなったのだが、そんな他人にとってはどうでもよい日々の繰り返しが人生なのだろう…


それと先日買いそびれた蕎麦粉を手に入れたのだが、家人が一名長期出張のため打ちそびれていた。ところがふとした思いつきで友人宅に電話しお裾分けすることを願った。
蕎麦粉500gと言えども打ち上がりでは800gを越えるので、たった二人で食べるにはかなり無理があるし、初めて使う粉なので味の方もいまいち不安がある。だから知り合いなら何処でも良いと言うわけにも行かないのだ(笑)
持つべきものは友、ついでと言っては何だが味見もしてもらえるし一挙両得なのだ。
もっとも貰う方にしたらあまりありがたくないことなのかも知れないが…


この日の蕎麦粉は遊佐町産、道の駅ふらっとで手に入るが、以前行った時には売り切れていたが、先日所用で近くまで行ったついでに買い求めた。
金俣そばと言うのは同町内に金俣という集落があり、そこの農家達が組合を作り栽培し製粉して出荷している。多分探せばネットでも入手できると思うが、やっぱり手にとって見たい気持ちもある。もっとも見たってよくわからないのが本当のところだが、変なこだわりがあるのは性分だから仕方がない。


  

以前は三ノ俣の「さんゆう」で、この粉を使ったざる蕎麦を楽しむ事が出来たが、残念な事にいつの間にか止めてしまったようだ。
ここにはネコの「さんちゃん」がいて蕎麦を食べてからよく撫でて遊んでやったのだが…
そして少し前までここは我が山スキーのホームグラウンド、冬になると良く訪れていたのだが、最近は非常用の脂肪がお腹にたまりすぎて、アウターのファスナーが壊れてしまいとてもスキーなど出来ない現実があったりするが、まあ良い、これも我が人生だ。

金俣そばの品種は二種類あって一応両方買ってあるが、この日は「北早生」というものを使ってみた。
いつも好んで使うのが「でわかおり」であるが(それしか使ったことがない(汗))いつぞや師匠に「最上早生」も美味しいよと教わったことがある。違う品種の味比べなんてのも乙じゃあ〜りませんか…
しかし日中は何だかんだありまして打ち始めたのは午後4時を回っていた。
気持ちの焦りを抑えつつ水を回すと台所中に良い香りが漂います。これも蕎麦打ちの醍醐味の一つ、実に食欲をそそる香りですなぁ。

打ち進めるとあることに気づいた。それは粘りが半端じゃないことだ。こね始めるとさらに増した感じ、う〜む、こ、これは…(汗)
ちょっと水を入れすぎたかな、なんて思うほど軟らかい感触なのだが、餅のように引っ付く感じが何となく不安を煽ります。(汗)
そんな感じなので伸しはかなりやりやすかったのだ。
急いで切って400gを目安に別けまして、すぐに友人宅へと持って行きました。

ホイっと置いて帰るはずがちょっと入れと言うことでお邪魔虫、ちょうど鍋をやろうとしていたので一緒に呑もうと言う話の展開になり、じゃあついでに別の友人達も呼べやと電話してみたものの体調不良で無理らしい。それじゃまたの機会にねとなるのがごく一般的なパターンなのだが、酒呑みの誘惑にからきし弱い性分は親譲り、気が変わらないうちに一旦家に戻り、つまみの刺身を大急ぎで引き、残りの蕎麦を持って友人宅へとんぼ返りする。(実はこの人、最近災難に遭ったばかりで慰問の意味合いも少しばかりあったのだが…)

厚かましくも台所を借りて茹で上げるとこれがまた良い感じに仕上がりましたよ。
写真を撮るのをすっかり忘れてしまいましたが、軟らかいと思ったものが茹で上がるとピシッと締まり良い感じの硬さになりました。そして色がかなり黒いんですねこれが…
さっと味見をしたら香りも含めてバッチグー、喉ごしもたまりません。

後は飲めや歌えの宴が続き、気がつけば土鍋いっぱいのモツ鍋と蕎麦は全部平らげていました。もちろんお酒もほとんど飲み尽くし気分は最高です(笑)
コタツから嫌がるネコを無理矢理引っ張り出し、悔いが残らないように爪を立てられる間際まで撫でまわして満足々(笑)
気がつけば十時をすっかり過ぎておりあわてて辞したのですが、千鳥足で我が家まで何とか辿り着くも酩酊著しく布団へ直行、朝まで完全爆睡状態であったようです。(何が慰問だ…(汗))



今年最後の寒気かな?

若い時分にはほぼ毎日どこかの店か集会所で友人達と酒を呑んでいた。それもホントによく飽きないなと感心するくらい毎回同じような顔ぶれで。
何をそんなに話すことがあったのか今考えても不思議だが、毎回あごの骨が外れるくらい大笑いしながら呑んでいた記憶がある。
知らぬ間に夜が明けていたなんてこともたまにはあったような気もするが、時が経つのは早いもので、みんないい歳になってしまった。

歳が行ってからは、それぞれ、いろんなしがらみや出来事があるようで、今では滅多に顔を合わせることもなくなった。逆に皆揃う時は何かあった時、良いか悪いかは別にしてだが…
人にはそれぞれの生き方があり、個性豊かな暮らしをしている。
大小様々な波があり大海原の中で当てもなく漂いながら小舟に乗っているようなものだ。自分の乗った小舟が何処に向かっているかなんて誰もわからない。

とにかく好きなものを作り美味しく食べることって、なかなか素敵な暮らし方だと思いませんか〜
そすれば何とか生きていけますよ。